1,消費者問題は、産業が高度化した社会における社会問題です。産業が高度化すると、物品であれサービス商品であれ、商品についての情報は事業者に偏在しています。消費者はほとんど情報を持つことがなく、またその情報を理解したり、問題がある場合に事業者と対等に交渉することも困難です。たとえば、ある大量生産された商品に欠陥がある場合、個々の消費者がその欠陥を把握し、その問題点を整理して主張し、商品代金を回収することは難しいのです。商品の構造や機能を分析して欠陥を指摘することの困難さに加えて、コストの壁もあります。消費者にとって1万円の代金を回収しようとしても、その金額以上の費用を払うことは現実的ではありません。しかし、事業者は、その商品についての情報を持っており、さらに、その商品が1万個売れたとすると、その売り上げは1億円になり、相当のコストをかけても欠陥を争うことが可能です。産業かが高度になった社会では、消費者問題が社会全体で対応するべき課題になるという意味で、社会問題であると言われるのです。
2,消費者という概念は、個人(自然人)かつ不特定多数という特徴を持っています。事業者という概念と対になっています。すべての人は消費者です。事業者を構成する人も自分の事業以外の面では常に消費者という立場に立ちます。ですから、個人はいつも消費者問題に遭遇する可能性を持っているのです。不特定多数という意味は、現代社会では大量生産大量販売が普通で、問題が発生した場合、被害者の数がきわめて多数になります。しかし消費者は組織された存在ではなく、通常被害者相互の連携はありません。
3,このように、社会問題となった消費者問題について、その対策がとられるようになったのは比較的最近です。景品表示法は1963年、理念的な法律である消費者保護基本法が1968年、訪問販売法1976年、製造物責任法1994年、消費者契約法2000年という立法の動きを見ると、多くの消費者被害が発生した後に、後追い的に対策がとられてきたことが分かります。多くは不十分な立法で、その後何度も改正を重ねているものがほとんどです。また、欠陥商品被害から取引型被害への拡大という流れもあります。
4,社会問題として消費者問題が位置づけられるには、法律の面でも発想の転換が必要でした。民法の基本的発想は、私的自治、契約自由です。つまり様々な契約は、対等の、自由な意思を持った者相互の合意であり、そこでは同等の能力、情報を持つ者同士の関係を予定しています。しかし、消費者と事業者の間の能力、情報、交渉力に大きな格差が存在することが常態となった社会では、私的自治の原則をそのまま適用することはできません。私的自治の前提を欠いているからです。事業者に安全配慮義務や情報開示義務、説明責任を負わせることや、訴訟における立証責任の転換が必要となるのです。また、不特定多数の被害救済のための制度が求められているのです。いわゆる買い手注意から売り手注意への責任ルールの転換が求まられているのです。
松葉